縁起
『唐津市誌』に、来雲寺はもとから天台宗ではなかった。『拾風土記』の寺院名寄によれば、曹洞宗の条に、龍源寺の末寺、元和8年(1622)4月、志摩守の創立と伝う。
龍源寺は、いまも東寺町にある。
その後、明治維新に衰微したのを山下亮永師が再興して天台宗にあらためた。境内に志摩守の子寺沢式部大夫の墓がある。
唐津藩は、文禄2年(1593)波多氏が朝鮮の役による不始末で改易。長崎奉行であった寺沢広高が入封して松浦川河口に唐津城を築造、城下を整備して新田開発を奨励、河川の改修工事に併せて、虹の松原防風林なども植樹した。
元和2年(1616)領内の総検地を行ったとき来雲寺を開基したか、広高は寛永10年(1633)4月11日没。休甫宗可と号す。
寺沢氏は、二代堅高の代に断絶した。
その後、唐津藩は大久保氏が二代、松平氏が三代、土井氏が四代、水野氏が四代、そして小笠原氏が五代つづいて明治維新を迎えた。
鏡山の名は、神功皇后が三韓征討のみぎり、頂きに宝鏡を捧げて戦勝を祈願したという神話にちなむが、佐用姫の伝説により、別名「領巾振山(ひれふりやま)」ともいう。
第40番 天鼓山 来雲寺
所在地 |
〒847-0025 佐賀県唐津市宇木2072 電話:0955-77-0463 |
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名称 | 天鼓山 来雲寺(てんこざん らいうんじ) |
通称 | |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
寺宝・文化財 | 寺沢氏より寺領付与の書状 |
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