詳しい創建は明らかになっていませんが、寺伝によると和銅4年(711年)行基菩薩の建立とされ、境内には行基菩薩開山の墓石が残されています。その後、平安末期、藤原季喜氏の実兄・覚阿禅師によって再興されたといわれています。季喜氏の養子である季家公は、源氏に味方して西下した平氏を討った功績などで後鎌倉の御家人になり、このことからこの地の地頭となって龍造寺氏を名乗るようになりました。宝琳院はそのころから龍造寺家の祈祷寺として、龍造寺家と因縁浅からぬ寺院であったと伝えられています。
そして明応年間(1492〜1501年)、龍造寺康家公は宝琳院と龍造寺家の縁が深いことを慮り、三男の澄覚を比叡山延暦寺へ修行に行かせ、宝琳院の住職としました。山号も「宝琳坊」から「恵日山龍造寺宝琳院」と改めて再興を計ります。それからの宝琳院の歴代住職は、龍造寺家が衰退する江戸時代初期まで龍造寺家一門が務めました。
宝琳院は龍造寺家の滅亡と共に衰退し、明治7年(1874年)の暴風で本堂その他の建物が全倒壊し廃寺と化しました。しかし、かねてより再興の念願に燃えていた須古水堂安福寺の法印嘉瀬慶範師が明治27年(1894年)に本堂を仮設し、昭和4年(1929年)からは慶範師の子息・嘉瀬範護師が本格的に再建に取り掛かります。歴代の霊廟所及び石柱の山門を整備し、昭和8年(1933年)に本堂の新築が完工、4年後には庫裡が完工しました。嘉瀬慶範・範護二代にわたって水堂安福寺と宝琳院を兼務し精進の極み、遂に完成にこぎつけ現在の宝琳院の姿となりました。
佐賀の歴史を語るには龍造寺家の推移なくしては語れず、龍造寺家の推移はそのまま宝琳院の歴史です。この由緒ある宝琳院も時代の流れとともに、次第に人々の忘却のかなたに流されていくことはとても残念なことです。佐賀の根源を探り往時を振り返ることも、また意義深いことでしょう。
詳細情報
寺院・ 札所名 | 恵日山 宝琳院 |
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住所 | 〒840-0021 佐賀県佐賀市鬼丸町12-30 |
電話番号 | 0952-84-3033 |
FAX | 0952-84-4431 |
宗旨 | 天台宗 |
本尊 | 聖観世音菩薩 |
拝観時間 | 堂内には入れません。 |
御朱印
受付場所 | 45番札所・持光寺にて受付 |
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恒例行事
- 星祭護摩供法要
- 日時:2月3日(節分)
- 内容:護摩を焚き、一年間の無病息災、家内安全、商売繁盛を祈願し、お札を授けます
アクセス情報
アクセス 方法 | 【電車・バスの場合】 JR唐津線・長崎本線・佐賀駅よりタクシーで14分。 【車の場合】 長崎大分線・長崎自動車道・佐賀大和ICを出て25分。 |
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駐車場 | あり(マイクロバス10台、普通車30台可) |