ホーム  > 各寺院の紹介  > 佐賀県  > 恵日山 寳琳院

恵日山 寳琳院

縁起

寳琳院のご詠歌当寺の開山はきわめて古く詳らかではありませんが、寺伝には和銅四年(711)行基菩薩の建立とされ、行基菩薩開山の墓石があります。
その後、平安末期、龍造寺二代季喜氏の実兄・覚阿禅師によって再興されたといわれております。

現在の城内から鬼丸にかけての地域は、当時小津郷龍造寺村末吉名と呼ばれ、自然陸地化した干潟の芦野を若干開拓した程度の村であったと思われます。
龍造寺三代季家公については、源氏に味方して、西下した平氏を討ち、後鎌倉の御家人になってこの地の地頭となったという記録が残っております。当寺はそのころから龍造寺家の祈祷寺として、龍造寺家と因縁浅からぬ寺院であったと考えられます。

降って15世紀末、龍造寺康家公は当寺が龍造寺家に縁故深きことを慮り、三男澄覚(1441~1528)を比叡山延暦寺に登らせ、得度を受け大僧都となって来ましたので、澄覚法印を当寺の住職となし、山号も宝琳坊から恵日山龍造寺宝琳院と改めその再興を計りました。
今からおよそ500年程前のことで、以来澄覚法印を当寺の第一世としております。

その後、龍造寺家の衰亡する江戸時代初期に至るまで、豪覚・源覚・円月・澄尊・澄舜・豪盛・豪円・伯庵と各法印いずれも龍造寺家一門が住職となっております。
その他一門の中には、当寺に出家し後、還俗して川上・祇園原・島原等で戦死した者も数名おり、戦国の世の武門の習いとはいえ悲惨な生涯を終えた人々もありました。

中世に、佐賀の地頭となった龍造寺氏は、次第に勢力を拡充していきました。
龍造寺隆信公も、水ヶ江龍造寺家の祖剛忠公の「この子唯者にあらず、予てより出家すれば必ず仏乗を悟り、九族天に生じて果を感ずべし」との言葉により7才から当寺に出家し、円月と称して豪覚法印に師事しております。

貞享2年(1685)に興宗法印によって書かれた宝琳院本縁起にも「抑々当寺の住持職、史君の親縁の出家と為る可し・・・・今の太守拾遺君当寺を崇敬し安じ奉る。臣興宗進みては国の恩の重さを感じ、退いては徳行の拙さを恥づ、凡そ当寺に住する其の人を撰ぶ可し」とあるように、その格式の高さが偲ばれます。

円月は後、村中龍造寺氏の相続が絶えようとしたので、乞われて還俗しました。太守村中龍造寺氏は、今の佐賀県庁付近一帯に居たと考えられます。
隆信の代に五州二島の太守となり、薩摩の島津氏、豊後の大伴氏と並ぶ九州の三雄と称されました。

天正12年(1584)島原沖田畷の戦いで隆信は戦死しました。長子政家は肥満過ぎて凡庸の為、秀吉から隠居を命じられ、国政は隆信の義弟直茂に任され、その後、実権は鍋島氏に移りました。

龍造寺氏と鍋島氏の政権の移譲は、隆信の実母で鍋島直茂の義母に当たる慶の意見と、豊臣秀吉の考えで極めて平穏に行われました。しかし、隆信の子息政家の孫に当たる伯庵は、龍造寺氏再興を秘めて宝琳院に入りました。

伯庵は「高房が15才になったら国政を高房に戻す」という約束があるとして、徳川家光の代に幕府に提訴しましたが、証言に立った多久安順は鍋島側を擁護し、伯庵は敗訴し、会津の保科家にお預けとなりました。

鍋島勝茂は寛永六年(1629)に三間半に七間の書院、三間に六間の茶堂、二間半に四間の方丈を建立しました。
鍋島光茂は寛文七年(1667)徳川家光の位牌安置のために七間半に十二間半の仏殿を建立しました。この位牌は現存しております。

1636年より住職を務め、寛永18年(1641)2月19日75才で宝琳院で死亡した僧正慶舜は、江戸東叡山一乗院の開山と言われています(8ヶ寺の住職)。その弟子の僧正圓義は関東長楽寺の住職で、宝琳院の兼務住職です(6ヶ寺の住職)。

龍造寺家の滅亡と共に衰退し、鍋島家より一応の扶助ありましたが振興には程遠く、寺院の維持にも事欠き、やがて明治維新となり、ますます困窮し僅かに寺院の形骸を留めるに過ぎず、荒廃しておりました。

明治7年(1874)8月20日の暴風で、本堂その他の建物は全部吹き飛び廃寺と化しました。

爾来、再興の念願に燃えていた須古水堂安福寺の法印嘉瀬慶範師が、明治27年に本堂を仮設しました。昭和4年から慶範師の子息嘉瀬範護師が、本格的に再建に取りかかり、歴代の霊廟所及び石柱の山門を整備し、昭和8年に本堂の新築が完工し、昭和12年に庫裡が完工しました。
この間、嘉瀬慶範・範護二代に渉って水堂安福寺を薫じ、当寺を兼務し精進の極み、遂に完成にこぎつけ現在の宝琳院の姿となりました。

佐賀の歴史を語るには龍造寺家の推移なくしては語れず、龍造寺家の推移はそのまま宝琳院の歴史です。

この由緒ある当寺も時代の流れとともに、次第に人々の忘却のかなたに流されていくことは甚だ遺憾なことです。佐賀の根源を探り往時を振り返ることも、また意義深いことかと存じます。


第44番 恵日山 寳琳院

所在地 〒840-0021
佐賀県佐賀市鬼丸町12-30
電話:0952-25-2848
名称 恵日山 寳琳院(えにちざん ほうりんいん)
通称
宗旨 天台宗
本尊 聖観世音菩薩
寺宝・文化財 古文書
マップ
より大きな地図で 第44番 恵日山 寳琳院 を表示

定期的に行われている行事をご紹介致します。

日時 行事名称 内容
毎月第3日曜日 8時 写経会 50分の般若心経写経、法話の後、抹茶会...
毎月第1日曜日 7時 座禅の集い 20分の座禅を2回行い、法話の後、朝粥会...
3月24日 10時30分 龍造寺隆信公慰霊祭 龍造寺隆信公並びに島原戦の戦死者の冥福を祈る...
2月3日 10時30分 14時30分 星祭護摩供法要 護摩を焚き、一年間の無病息災、家内安全、商売繁盛を祈願し、お札を授ける...
3月21日春分の日 10時30分 春彼岸会法要 故人・先祖の冥福を祈る...
9月23日秋分の日 10時30分 秋彼岸会・施餓鬼会法要 故人・先祖の冥福を祈り並びに、無縁の亡者の霊に飲食を施し、成仏を祈る...
毎月18日 7時 月護摩供法要 毎月観音様の御縁日に護摩を焚き、その月の厄難消除を祈願する...

このページの先頭へ戻る