縁起
『長崎県大百科辞典』には、こう記す。
本尊は薬師如来。前身は養性庵と称す。天正14年(1586)4月5日、現薬王寺の背後の丘陵地にあった井手平城が落城。その後6年、文禄元年(1592)平戸藩主・松浦隆信の命により、洞谷山を城持山と改称した。
元禄年中(1688〜1704)菖海素休和尚の代に、養性庵の寺地から城跡の現在地に移転、再建された。このとき平戸瑞雲寺九世。大虚舜道和尚を開山に迎え、併せて井手平城合戦の戦死者の追善供養が営まれたという。
井手平城は、天正14年(1586)大村・有馬の連合軍に敗れて落城、城主の岡甚左衛門を筆頭に城兵のほとんどが戦死した。
これを哀れみ藩主の松浦隆信が養性庵を移転、再建して、戦死者の霊を弔ったのが薬王寺の創まりである。